イギリスGPのクラッシュについて思うこと
とかく、私たちはレース中のアクシデントについて感情的になりがちだ。
ご存知の方も多いと思うが、7/18に行われたイギリスGPの決勝レースでルイス・ハミルトンとマックス・フェルスタッペンが接触した。
フェルスタッペンは接触によってリタイアを強いられるに留まらず、マシンも激しく損傷。フェルスタッペン自身も病院で検査を受ける事態となった。
一方のハミルトンは10秒ペナルティを食らいはしたが、その後素晴らしい走りで優勝。レース後はイギリス国旗を振って地元イギリスの大声援に応えるなど、喜びを爆発させた。
これではあまりにも割に合わない、と思ったレッドブルファンも多いことだろう。私自身もレース直後はそういう感情になってしまった。
では10秒ペナルティは妥当ではなかったのか?
もちろんこれは難しい問いである。また、この裁定に対して「重すぎる」「軽すぎる」など色々な意見が出ること自体は決して悪いことではないと思う。
しかし、マシも言うとおり、ペナルティの裁定時には、インシデントの結果は反映されない。つまり、ハミルトンの10秒ぺネルティという裁定には、フェルスタッペンが激しくクラッシュしたという事実は含まれていない。例えば、あの接触でフェルスタッペンが軽くスピンし、またレース復帰できていたとしたら?その場合、10秒ペナルティは妥当だと感じられるかもしれない。
また、スチュワードはF1における”審判”である。選手はもちろんのことファンも彼らの裁定を尊重する気持ちは常に持ち合わせている必要があると思う。
レース後、クリスチャン・ホーナーやフェルスタッペンらはハミルトンの動きを「危険な」ドライビングだと形容した。これを受けて、つい私も「ハミルトンは危険な運転をしてまでも優勝したいのか」という気持ちになった。
しかし、冷静になって考えてみれば、果たしてあれがどれほど危険なのか、或いは危険でないのかは素人の私には判断できない。そしてあくまでもこれらの発言はレッドブル側からのものであり、決して公正中立な意見ではない。
レッドブルがこうした発言をしたことを批判する意図はない。彼らには彼らの主張があるだろうし、(一部で言われているが) これらの発言が人種差別的な発言を焚きつけたとも思わない。(人種差別は決して容認されるものではない)
今回のクラッシュに対する私の個人的な意見は、マーカス・エリクソンのものに近い。
Lewis fault yesterday, but not far from a racing incident. Tough place to pass especially on L1 with a car full of fuel. But it’s a mental game and (I think) he wanted to show Max he will not back down. Can’t wait to follow it for the rest of the season. Bring on the drama 🍿 #F1
— Marcus Ericsson (@Ericsson_Marcus) July 19, 2021
エリクソンは、接触自体はルイスのミスとしながらも”レーシングインシデントに近い”ものだと主張。また (個人的な見解と断りつつも) ルイスはマックスに対して「俺は引かないぞ」という意思を見せたかったのではないかと述べている。
双方があのようなラインを取った時点で、どちらかが引かなければ接触は起きたに違いない。そしてどちらが引くべきだったかを敢えて問うならば、それはハミルトンだったのだと思う。一方のハミルトンは、Autosportの取材に対して、マックスがここ最近”かなりアグレッシブ”だと言っている。これは、マックスに理解を示し、リスペクトしながらも、そのドライビングスタイルにやや不満を感じているとも受け取れる。このままバトルの度に自分が後ろに引いていたら、マックスに対し”引いてくれるドライバー”という印象を与えかねないと思ったのかもしれない。
何はともあれ、マックスが無事であったことが何よりもの幸いだ。
そして今、二人のドライバーに願うのは遺恨を残さないこと。
あの接触に関しても、またレース後の言動に関しても、きっと互いに反省し、歩み寄れるポイントがあるはずだと信じている。
クラッシュが起こるその瞬間まで二人のバトルは本当に素晴らしいものだったし、これからもサイドバイサイド、ホイールトゥホイールのバトルが展開されることを望んでいる。